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大阪高等裁判所 昭和62年(ネ)348号 判決

控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

西宮市

右代表者西宮市水道事業管理者

前田一男

右訴訟代理人弁護士

美浦康重

米田宏己

西信子

北薗太

被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)

大坪眞子

右訴訟代理人弁護士

仲田隆明

主文

一  原判決中控訴人の敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  被控訴人の附帯控訴を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  控訴人

(控訴及び附帯控訴について)

主文と同旨。

二  被控訴人

(控訴について)

1 本件控訴を棄却する。

2 控訴費用は控訴人の負担とする。

(附帯控訴について)

1 原判決中被控訴人の敗訴部分を取り消す。

2 控訴人は、被控訴人に対し、四〇四万円及びこれに対する昭和五八年二月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

4 右第二項は仮に執行することができる。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり付加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する(ただし、原判決一〇枚目表一二行目の「給水栓水」から末行の「あったもので、」までを削除し、一一枚目裏一〇行目の「原告の指定する」を「控訴人の指定する」に訂正する。)。

(控訴人)

1  違法性阻却事由の存在について

被控訴人主張の本件損害は、左記利益衡量論の見地から、受忍限度の範囲内のものであり、控訴人の侵害行為は、違法性が阻却される。

(一) 水道事業の公益性

水道事業は、国民の日常生活に直結し、その生命・身体を保持するために欠くことのできないものであって、極めて公益性の高い事業である。水道法も右公益性に照らし、「水道事業は、清浄にして豊富低廉な水を供給し、もって公衆衛生の向上と生活環境の改善に奇与することを目的とする」(同法一条)と規定している。

ところで、被控訴人が居住する西宮市北部地域は、控訴人が部落有水道の寄付採納を受け水道事業を開始した直後から、急激な都市化と爆発的な給水人口の増加を示した地域であることは、本判決添付の別表「給水人口及び排水量」のとおりである。右の給水人口の爆発的な増加による水の需要は控訴人の予測を越え、しかも取水源確保の困難な地域であったことから、控訴人の供給能力の限界を越えるものであった。水は人間の日常生活にとって不可欠なものであって、必要な給水を欠くときには、直ちに市民生活上極めて重大な支障をきたすことになるが、控訴人は、生瀬地区についていえば特有の急激な人口増加に対処すべく、取水量をはるかに上回る給水を余儀なくされ、新たな原水の開発ができないため取水池、配水池の拡充及び施設の増改築を図ることにより必要な給水量の確保をまず優先せざるを得なかったのである。右のような水の需要と供給のバランスがくずれ、供給能力の限界を示すような地域においては、水道事業者に対し一次的責務として要求されることは給水量を確保することであり、生命・身体の保持に直接の危害を加えることのない審美性障害を回避するために給水停止を行なうことは、給水停止のもたらす多大の不利益に照らし許されないところである。

(二) 控訴人の侵害態様

(1) 取水源の確保

原判決は、控訴人には、取水等の水道施設全般の操作運営を適正に行う注意義務があると判示した。しかしながら、本件水道は、部落が開設した取水源を控訴人が引き継ぐ形態で営業を開始したものである。この意味で、控訴人は、いわば瑕疵ある取水源を前提に営業開始を余儀なくされたのであり、営業開始後においても、昭和四七年三月のドン尻浄水場の完成及び同五三年の北部水道事業計画の完成時に至るまで、取水源の変更は事実上不可能であった。

控訴人は北部地域においては、合併後市営簡易水道として営業開始時点で、将来の水需要とフッ素問題を同時に解決する水道事業計画を持っていた。つまり、市民より斑状歯問題が提起された昭和四六年頃から遡ること七年、昭和三九年頃には既に具体的計画があり、検討の結果昭和四三年に北部水道事業計画の実施に踏み切ったものである。この事業は、控訴人においては大事業であり、水利権問題、用地の買収等の問題が生じ、完成予定期日が大幅に遅延したため、フッ素対策も遅れたことは否めないが、控訴人としては精一杯の努力をしてきたものである。ところで、西宮市は、自己水源が南北にわたって点在しており、なおかつ、その数が多く、また、水道法に定める伝染病に係わる検査項目が優先されなければならないので、そのうえに北部地域のフッ素について毎日検査をするということは不可能であった。仮に、毎日検査が行えたとしても、測定結果が判明するまでに時間を要するので、検査の結果基準値以上のフッ素値が判明したとしても、すでに採水から検査結果時までかなりの時間が経過しており、採水された水は配水されているため検査対象となった時点での水については、何らかの処置を施すことは不可能であり、また、その処置方法は開発されていなかった。このように、連続して検査を行い、かつ、現場において直ちに処置が施せない限り、例え毎日検査を実施しても水を処置することは不可能ということになるが、配水中のフッ素濃度を連続的に測定し結果を直ちに判明できる機械装置が当時はなかったので、常時測定し即時に結果を得るということは不可能であった。

なお、控訴人は、フッ素濃度の低減を図るべく、できる限りの努力を払ってきたものであるが、この解決については、昭和四〇年代においては水質検査方法も未熟であり連続的に即時フッ素濃度を測定する方法は開発されておらず、当時の検査方法による限り、結果が判明したときには既に検査対象水は供給されてしまっており、対策の立てようがなく、フッ素除去についてもテストプラントはともかくとして、実用に供しうる技術開発がなされておらず、仮に検査により高濃度のフッ素が含まれていることが判明しても、その対応ができなかったものである。また、控訴人としては生瀬地区の水道水のフッ素濃度を低減するための稀釈原水の確保が難しかったので、昭和三九年度には丸山ダム建設の具体的計画を策定したものの、種々の事情により、その完成が大幅に遅れ、昭和五二年度に完成するに至ったが、北部地域への給水量の確保という至上命令を前にしては、基準値を超える給水が仮にあったとしても、真に止むを得なかったというべきである。

(2) フッ素濃度低減技術

フッ素濃度低減技術については、控訴人が実施した方法(硫酸バンド法等)以外に、昭和四〇年当時から同五二年までは実用的低減技術が確立していなかった。すなわち、当時の技術水準においては給水中のフッ素濃度を常時0.8PPM以下に保つことは不可能であった。文献上日本における実用的フッ素除去方法は昭和五二年までは確立されていなかったといって過言でないし、昭和四六年以前には成功した実用例も存在しなかった。なお、控訴人としては、前述のとおりフッ素除去の方法が未だ確立されていなかったが、各種のフッ素除去方法のうち、当時最も実用に適したと考えられる活性アルミナ法に着目し、昭和四六年七月初めから同法による本格的なフッ素除去の実験を行い、当時としては画期的な粒状活性アルミナを使用するフッ素処理装置を独自に開発し、同年一一月から本格的に稼働させた。また、控訴人は、活性アルミナ法の欠点を克服すべく、これまで実用的でないとされていた硫酸バンドによるフッ素の除去方法に再び着目し、昭和五一年から実験を重ねた上、人手を煩わすことなくフッ素除去が連続して機械的に行える方法を開発し、昭和五三年四月から液体硫酸バンド法によるフッ素除去を行うこととした。この方法も控訴人が独自に開発した方法であり、現在までのところ、これに勝る方法は文献上も報告されておらず実際の装置として稼働している例もない。

(3) フッ素濃度基準

厚生省のフッ素濃度基準は、ボーダーバンド基準である。したがって、右基準に違反したからといって、直ちに行政罰を課される取締規定ではない。

(三) 被害発生後の控訴人の態度

(1) 不法行為の基本理念である損害の公平な分担という見地からは、帰責事由の認定にあたっても、被害発生時から口頭弁論終結時までの侵害行為者の態度も斟酌されるべきものであるところ、控訴人は、被害発生後誠意をもって被害回復に努めている。

(2) すなわち、控訴人は、市民の間で斑状歯問題が提起されるや、直ちに昭和四九年九月三日、西宮市斑状歯専門調査会を発足させて、斑状歯の諸問題についての調査を行ない、右調査結果に基づき同五二年一月三一日、「西宮市斑状歯の認定及び治療補償に関する規程」を規定し、同五四年、西宮市斑状歯対策所を設置し、以後、誠実に治療補償を実施している。右補償規程は、控訴人の行政責任の有無を不問として、早期的な被害者救済を主眼とするものであり、控訴人の本件問題に対する真摯な態度の現われである。また、右補償規程の内容についても、市民の要望をほぼ全面的に受け入れた保護性の厚い内容となっているものであり、被害者の救済に欠けるところはない。

(四) 控訴人の北部地域における経済的負担

(1) 控訴人は、西宮市北部地域合併後、同地域に対し莫大な費用を投資して、水道施設の維持を行なっている。

(2) すなわち、控訴人は、同地域においては、部落有水道の寄付採納を受けた直後から、急激な都市化と爆発的な給水人口の増加への対応を余儀なくされ、慢性的な水不足問題を常時抱えながら、水道施設の改良・拡充及び配水管の敷設等を行なってきた。右水道施設に費やした工事費は、昭和三五年度から同五二年度までの人口一人当たりの工事費累計として六三万六七五三円となり、同じ南部地域累計の五万〇九〇六円に比して、一二倍以上の投資を行なっている(本判決添付の別表「西宮市南部・北部地域別工事費一覧表」記載のとおり)。また、慢性的水不足の解消及びフッ素濃度の低い取水源の確保を目的として行なった丸山ダム及び上水道施設建設工事は、同五三年に完成したが、同工事に対して、控訴人は、同四三年当時の計画事業費二一億六〇〇〇万円を優に越える約七〇億円という巨費を投じている。ちなみに昭和四四年度の控訴人水道局の年間予算は、一七億六九三〇万七〇〇〇円(水道事業費)であり、建設費七〇億円に対する昭和五三年当時の北部給水人口(一万五七二五人)比は、一人当たり四四万五一五一円の投資額となる。

一方、控訴人は、斑状歯問題の発生後、専門調査会発足、同調査・補償規程制定、西宮市斑状歯対策所設置等につき、一億〇二五一万四三七四円を既に支出しており、将来においても、補償規程に基づく治療補償費として毎年度五〇〇万円程度の支出を予定している。

(3) ところで、水道事業は、地方公営企業法の適用を受け(同法二条一号)、企業としての経済性を発揮させるために、独立採算制がとられている(同法三条、一七条二項)。この独立採算制の下では、水道料金は、公正妥当かつ水道事業が能率的な経営の下に適正な原価を基礎とし、健全な運営を確保するものでなければならないとされている(同法二一条二項)。従って、健全かつ能率的な運営という見地からは、北部地域において最寄りの取水源からの取水をせずに、南部及び宝塚市からの給水車の出動による給水を行なうことは実行不可能であった。一方、控訴人は、北部地域と南部地域との地理的経済的条件が異なるにもかかわらず、南北両地域の水道料金体系の一本化を実施し、かつ、これを前提に前記(2)の北部地域の慢性的水不足の解消及び取水源確保のために巨額の工事費用を支出しているのである。斑状歯は、歯の機能上全く欠損がなく、う蝕に対する抵抗力が強いという有益性もあり、単に審美性障害が問題になるにすぎないものである。したがって、第一次的責務である給水量確保の点で、独立採算制が破綻する程の多大な出捐を強いられている控訴人及び南部住民に対し、右出捐に加え、審美性保護のための出捐までを適正な原価の基礎とすることは、公営企業の立場上無理である。

(五) 被侵害利益及び侵害程度

被控訴人の被侵害利益は、歯の審美性障害にすぎず、しかも後述のとおり、審美性回復のための治療も不要という侵害程度にすぎない。

(六) う蝕に対する抵抗力

被控訴人は、控訴人の本件水道により、う蝕に対する抵抗力という恩恵も享受している。すなわち、斑状歯は、一般的にエナメル質が硬質化し、う蝕に対する抵抗力が強くなるという有益性を持つといわれている。被控訴人の永久歯も、右有益性を具有し、う蝕歯は一本もない。う蝕歯は、歯の咀嚼能力という本質的機能を損失ないしは減少せしめ、ひいては全身的病巣へと発展する契機を持つものである。そして、審美性についても、う蝕歯の着色に基づく審美性障害は、斑状歯のそれよりも著しいものというべく、また、口臭の最大原因の一つともなっている。う蝕歯の右弊害に比し、斑状歯は、歯の機能に何らの影響も及ぼさず、もっぱら審美性が問題となるにすぎないものである。

(七) 以上述べた如く、各個の利益衡量をした場合、被控訴人の損害は、通常の社会生活を送る上で受忍限度内のものである。

2  損害

控訴人は、本件損害賠償請求事件につき、帰責事由はないと主張するものであるが、原判決の認定した損害につき、仮定的に不服を述べる。

(一) 被控訴人斑状歯の治療の要否

(1) 原判決は、被控訴人歯の上左右の各一ないし四番、下左右の各一ないし三番の範囲を要治療歯と認定したが、右は事実誤認である。被控訴人斑状歯の症度は、東京歯大分類のM0かつ白斑の濃淡の弱いものであるので治療不要である。

(2) 原判決は、要治療歯の原則的基準として、通常人が美容上の不快に耐えられる限度を越える厚生省分類及び東京歯大分類のM0以上、ディーン分類のMod-erate以上の症度の斑状歯としつつも、個々の症例については、本人の年令、性別、実際の症状、本人の治療意思などの個別的な事情も考慮して治療の要否を判断するのが相当であると判示した。そして、被控訴人歯につき、下左右各一、二番をM2に近いM1'、上左右各一ないし三番をM2に近いM1'以上の症度と認定して、原則的基準に照らせば、治療不要歯であるにもかかわらず、被控訴人本人の年令、女性であること及び治療希望の意思の強いことという個別事情を考慮して要治療歯と認定した。

(3) 個別事情の不当性

原判決は、個別事情の中で、認定資料として摘示した実際の症状即ち白斑の濃淡の程度・態様にふれることなく、被控訴人本人の治療意思の強さを重要な認定資料とした。しかしながら、控訴人に帰責されるところの損害とは、原判決も判示するように、通常人が美容上の不快に耐えられる限度を越える斑状歯という相当因果関係の範囲内のものでなければならない。相当因果関係の範囲外の損害(斑状歯)については、たとえ患者本人の治療意思が強くとも、不法行為者に帰責されるべきものではなく、患者本人の責任と費用において治療されるべきものである。本件における被控訴人斑状歯は、後述の通り、専門の歯科医師の検診によれば、客観的症度として、治療不要歯であった。したがって、客観的症度として治療不要歯を患者本人の治療意思により要治療歯であると認定し直すことは、通常人において美容上の不快に耐えられる限度を越えるという客観的基準を、極めて主観的基準によって有名無実化することになり、損害の公平な分担という不法行為法の理念にもとる結果となる。

(4) 原則基準の不当性

原判決は、M2以上の症度の斑状歯を通常人において、美容上の不快に耐えられる限度を越える基準とした。しかしながら、ディーン分類、厚生省分類及び東京歯大分類基準等は、飲料水中のフッ素量と歯牙フッ素症との関係(CFI)を疫学的に調査する目的で設定された基準であり、口腔衛生学でいう審美性を全く考慮に入れていないものである。したがって、審美性判断において、設定趣旨の異なる分類基準を原則基準とすることは、審美性障害について何らの実証的裏付けもないままに右分類基準を事実認定の基礎とするものであり、極めて不当な事実認定となる。

そもそも審美性とは、第三者が患者の醜状を見て不快感を持つか否かが問題となるものであって、あくまで第三者が視覚的な判断をなすものである。視覚的判断である以上、一般通常人である第三者が斑状歯保有者と自然な会話を行なう際、斑状歯の白斑という病変部分を視覚し得、かつ不潔感を抱くのは、白斑症状の面積の大小というよりも、白斑症状の濃淡が強い場合である。右事実は、宝塚市において、M2の症度例がきれいな歯として表彰されている事実からも肯首できるものである。

したがって、審美性の判断基準としては、白斑の面積の大小のみを分類基準としている厚生省分類等は、一判定資料とはなり得ても原則基準とはなし得ないものであり、白斑面積に加え、白斑の濃淡の強度も重要な判定資料とされなければならない。なお、文献上M2以上は、美容上の問題があり得るとの記述もあるが、右記述から直ちに要治療を断じているものではなく、審美性判断において白斑の濃淡の強度を排斥するまでの要旨の記述ではない。

(5) 被控訴人斑状歯は治療不要である。

被控訴人斑状歯の症度

原判決は前記(一)(2)記載のとおり、被控訴人歯をM2に近いM1'の症度と認定したが、右認定は事実誤認である。被控訴人斑状歯は、東京歯大分類基準ではM1で白斑の濃淡の弱い症度である。

専門歯科医師の治療意見

被控訴人斑状歯を検診した歯科医師らは、すべて被控訴人歯の客観的症度としては、治療不要と診断している。

う蝕に対する抵抗力

斑状歯のう蝕に対する有益性については、前記1(六)記載のとおりであり、また、被控訴人歯は、右記載のとおり、専門歯科医の診断による客観的症度としては、治療不要の審美性障害の程度にすぎない。したがって、かかる美感減少という損失と、う蝕に対する抵抗力という利益とを、比較衡量した結果からも、治療の必要性はないといわなければならない。

(二) 慰謝料請求について

(1) 原判決は、既治療済歯、要治療歯及び第三者が視覚し得るか否かの区別なく、被控訴人斑状歯のすべてを慰謝料請求の対象歯と認定したが、右認定は誤りである。

(2) 被控訴人の精神的苦痛は、前記1の利益衡量論と同様の見地から、受忍限度の範囲内である。

慰謝料請求についての利益衡量においても、前記1の(一)ないし(六)の事実を引用し、右に加え、左記事実を利益衡量の前提事実として主張する。

原判決は、既治療済歯についても慰謝料請求を認めた。しかしながら、審美性障害に基づく精神的苦痛は、歯の治療によって消滅するのであるから、右認定は不当である。同じく、原判決は、治療不要歯についても、慰謝料請求を認めた。しかしながら、斑状歯の損害とは第三者の視覚的判断の審美性障害にすぎず、審美性の回復のために医学的治療と慰謝料請求が認められるのである。しからば、口腔内の奥に位置し、通常の会話において第三者の視覚にふれない、すなわち、審美性障害の発生しない治療不要歯にまで審美性障害を原因とする慰謝料請求権が発生する余地はない。また、要治療歯に対する慰謝料請求についても、審美性障害に起因する精神的苦痛は、被控訴人の生涯継続するものではなく、治療により消滅するものである。この意味で、被控訴人は、いつでも自費ないしは補償規程により治療可能であるにもかかわらず未治療を奇貨として慰謝料請求をなすのは権利の濫用である。

う蝕に対する抵抗力

慰謝料請求権も通常の損害賠償請求権である。そして、右請求権によって賠償される損害とは、不法行為者の行為に起因する利益の喪失・減少である。斑状歯は、審美性障害という意味で利益の減少はあるものの、反面、う蝕に対する抵抗力が強いという利益面も有する。被控訴人には、う蝕歯は一本もないのであり、右利益が、審美性障害という利益減少を相殺する。

以上述べた如く、各個の利益衡量により、被控訴人の慰謝料請求は、通常の社会生活を送る上で、受忍限度の範囲内のものであるから認められないというべきである。

3  被控訴人の後記主張はすべて争う。

(被控訴人)

1  控訴人の前記主張はすべて争う。

2  控訴人には、次に述べるとおり注意義務違反があるので、本件損害賠償責任があることは明らかである。

(一) 控訴人には、厚生省基準の0.8PPM以下のフッ素濃度の上水道水を被控訴人に配水するなどして被控訴人に斑状歯を発生させない注意義務があるのにもかかわらず、控訴人は被控訴人宅へ0.8PPMを越えるフッ素濃度の上水道水を配水するという注意義務違反を犯して被控訴人を斑状歯に罹患させたものである。

控訴人は、この点に関し、①フッ素濃度を毎日検査することは不可能であり、②フッ素濃度の検査方法が未熟なことから測定結果が判明するまでに時間を要するので、検査用に採水された水は配水されているためこれに何らかの処置を施すことは不可能であり、さらに、③昭和四〇年代においては、フッ素除去については実用に供しうる技術開発がなされていなかったから、仮に水質検査によって高濃度のフッ素が含まれていることを知りえてもその対応はできなかった、と主張する。

以下、控訴人の右主張に反論する。

(二)(1) 右①、②のフッ素濃度の検査体制、検査方法の主張は論外である。

兵庫県では昭和二四年からフッ素被害対策委員会で飲料水中のフッ素による斑状歯の発生問題に取り組み、当然、控訴人も兵庫県の中の自治体としてこれに参画しているものであるし、昭和三四年発行の西宮市史では斑状歯問題の重要性とフッ素濃度の頻繁なる検査の必要性が指摘されているのであるから、毎日検査をすべきは必定のことである。

(2) まず、昭和三四年から昭和四六年頃までの西宮市の生瀬、山口、船坂地区における給水栓でのフッ素濃度について検討する。

西宮市長から委託を受けた西宮市斑状歯専門調査会のした調査の結果では、生瀬、山口、船坂の各地区のCFI(地域フッ素症指数)はそれぞれ1.73、1.69、1.33となり、いずれも地域フッ素症指数が高い。このCFI値から、昭和三四年から同四七年の間の給水栓におけるフッ素濃度を推定すると、生瀬地区2.7PPM、山口地区2.6PPM、船坂地区2.1PPMとなる。そして、西宮市水道局の昭和三七年から同四八年の間の各地区に配水された上水道水の原水のフッ素濃度のうち平均値と頻度の高い数値とを参考にした昭和三四年から同四六年までの給水栓におけるフッ素濃度の推測値は、生瀬地区1.6〜2.1PPM、山口地区0.8〜1.3PPM、船坂地区0.6〜1.1PPMである。また、西宮歯科医師会が昭和四一年から同四四年の間に給水栓で測定した資料によると、生瀬地区1.9〜3.0PPM、山口地区1.1〜3.0PPM、船坂地区0.6〜1.1PPMであり、大阪大学環境工学科大学院グループが昭和四六年に給水栓で測定した資料では生瀬地区1.6〜2.0PPM、山口地区1.0〜1.3PPM、船坂地区1.2〜1.3PPMであった。いずれにしても、被控訴人の居住していた地域に配水された上水道水のフッ素濃度は厚生省基準の0.8PPMを大幅に上回っている。

(3) 控訴人の昭和三四年頃から同四六年までのフッ素対策は、現実には月一回の給水栓のフッ素濃度検査をするだけでこと足れりとしていたにすぎないものであって、控訴人の水道行政は出鱈目である。控訴人は、0.8PPM以下のフッ素濃度の水を被控訴人らに供給するについては何らの行政上の義務も法的義務も尽くしていない。控訴人がフッ素除去についての行政努力を開始したのは、昭和四六年に当時の宝塚市在住の歯科医師の伊熊和也が「宝塚市における上水道水中に高濃度のフッ素が含まれている事実が宝塚市民に大量の斑状歯を発生せしめている」旨の指摘をしてからのことにほかならない。控訴人には、飲料水中のフッ素によって斑状歯が発生すること及び現に斑状歯が多発していることを熟知しながら、斑状歯発生防止のために、何らの具体的措置をもとらなかったところに法的注意義務違反が厳に存するのである。

(三) 水道事業者がフッ素濃度が0.8PPM以下の水道水を供給する方法としては、そもそもフッ素濃度が低い水源を確保するか、高濃度の水源においては、その水に他の濃度の低い水源の水を加えて攪拌するか、硫酸バンド法あるいは活性アルミナ法等によるフッ素の除去がある。厚生省が、昭和三三年に水道法および水質基準に関する省令でもって、供給する水道水中のフッ素濃度を0.8PPM以下と定め、これに関する水質検査、施設検査違反に対して刑事罰でもって制裁することとしたのは、水道事業者が水道水中のフッ素濃度を0.8PPM以下に維持することが当然に可能であることを前提とする。

控訴人としては、まず、原水そのものがフッ素濃度0.8PPM以下の水源を確保し、配水することが基本である。現在、被控訴人宅は丸山ダムからの配水を受けている。控訴人の主張によると、丸山ダムの原水のフッ素濃度は0.8PPM以下である。昭和二〇年代から、兵庫県も控訴人も飲料水中のフッ素と斑状歯の問題に取り組んでいたのであるから、丸山ダムの原水のように0.8PPM以下の水源は探し得たはずである。

(四) 遅くとも、昭和四〇年には上水道水中のフッ素濃度を厚生省基準の0.8PPM以下にまで除去する技術は確立されていたのであって、これに反する控訴人の主張は失当である。仮に、控訴人において被控訴人宅へ配水する上水道水について厚生省基準の0.8PPM以下のフッ素濃度を維持できないとしても、控訴人はそれでもって免責されるものではない。兵庫県、西宮市では古くから飲料水による斑状歯が発生していることは関係機関には明白だったのであるから、西宮市民が引用する上水道水のフッ素濃度について毎日検査することは勿論、控訴人としては、仮に水源においてフッ素を除去することが技術的に不可能であっても、混合稀釈するなり、家庭内の水道蛇口にフッ素除去装置を設置するなりの措置を講じて、水道水からフッ素を除去すべき義務があったのである。仮に水道水からフッ素を除去することができないのであれば、控訴人にはフッ素を除去した飲料水をタンク車により供給する等の措置を講ずべき義務が存したのである。

(五) また、水道法二三条一項は、「水道事業者は、その供給する水が人の健康を害するおそれがあることを知ったときは、直ちに給水を停止し、かつその水が危険である旨を関係者に周知させる措置を講じなければならない。」と規定しているものであり、水道水中に高濃度のフッ素が含有されており、水道水の飲用により斑状歯が発症するおそれのあることを知っていた控訴人としては、少なくともその旨を水道受給者に周知させる措置を講ずべき義務があったのである。控訴人は、これらの義務を履行せず漫然水道水を供給したのであるから、そのために斑状歯に罹患した被控訴人に対して損害賠償責任がある。

3  控訴人は、地域開発に伴う給水人口の爆発的増加による水の需要は控訴人の予測を超えるとか、水道事業者に対し一次的責務として要求されることは給水量の確保である旨の主張もするが、西宮市北部地域における地域開発に伴う給水人口の爆発的増加が控訴人の予測を仮に越えることがあるとしても、控訴人には都市計画法、宅地造成等規制法、建築基準法等々の行政法規によって、乱開発等によって住民の受ける公的サービスの低下や住民の権利の侵害を防止すべき行政上の権限および責務が存するのであるから、これらの権限、責務を棚上げしての議論は到底許されるものではないし、水道法上、水道水は飲用としても衛生的に安全無害な水質を保つものでなければならないことが水道事業者の一次的責務であって、単に給水量の確保にあるのではない。さらに、控訴人の、生命、身体の保持に直接危害を加えることのない審美性障害を回避するために給水停止を行うことは許されないとの主張は、被害者不在の加害者まるだしの暴論であり、行政の横暴以外の何ものでもない。

4  斑状歯も身体の障害であるところ、斑状歯に罹患したことによっての審美性の問題は極めて深刻であり、そのために性格さえも暗く変化していくことも稀ではない。兵庫県や西宮市においては古くから、遅くとも昭和二〇年代から、飲料水と斑状歯の問題については重大かつ深刻に受けとめられており、この問題は西宮市北部地域だけではなく西宮市全体の問題である。したがって、控訴人が斑状歯ぐらいで飲料水の供給を停止できるかと主張するのは歴史的にも大きな誤りである。控訴人は、昭和三四年発行の西宮市史において「・・・たえず上水道源水のフッ素含有量を監視する一方、フッ素の起源をつきとめて対策を考えておくことも重要である。」と自ら言明しているのである。

5  控訴人は、フッ素はう歯(虫歯)予防に有益であり、被控訴人の永久歯にう歯が一本もないことは被控訴人が水道水中のフッ素から利益を受けていることだと主張するが、被控訴人の右上下の各六番、七番および左下の六番、七番の各歯はう歯で治療済であるし、右下五番、左上六番、七番および左下五番はう歯で未治療歯である。被控訴人の歯にう歯が存することは、控訴人が自ら提出している検乙第一号証、乙第二一号証でも明らかである。

6  甲第四一号証ないし第六四号証(ただし甲第四九号証を除く。)の西宮市水道局作成の西宮市水道事業年報(以下「水道年報」又は「年報」という。)の記載をみるのに、厚生省においてフッ素濃度の基準値が0.8PPMと定められた昭和三三年から同三九年までは、フッ素濃度検査の記述が全くなく、フッ素検査の記述があるのは昭和四〇年以降である。

そして、右年報によると、昭和四〇年から同四三年の本件生瀬地区のフッ素濃度の検査結果は次のとおりである。

原水    配水池

昭和四〇年 1.1PPM 1.1PPM

同四一年 1.8PPM 1.8PPM

同四二年 1.9PPM 1.9PPM

同四三年 1.3PPM 1.3PPM

原水のフッ素濃度は、例えば、川の水を浄化して水道水として用いるときは、川の水についてのものであり、つまりフッ素処理前のものである。配水池のフッ素濃度は、フッ素処理後の一般家庭等へ配水する直前のものである。右表から理解できるように原水も配水池も厚生省基準をはるかに上回っているものであり、控訴人のフッ素濃度についての主張は全く虚偽であることが明らかである。また、控訴人は、一生懸命フッ素除去に取り組んできたと主張するが、右の表からわかるとおり、原水と配水池とのフッ素濃度が同一ということは昭和四〇年から同四三年まではフッ素除去が全く行われていなかったことを物語るものである。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一争いのない事実

控訴人が水道法六条一項の認可を受けて西宮市域に給水を行っている水道事業者であること、被控訴人が昭和四〇年九月七日肩書地で出生し、それ以来現在に至るまで控訴人経営の水道事業の生瀬浄水場及びその系統の給水施設(本件水道)から上水道水(飲料水)の供給を受けてきたものであること、被控訴人は出生以来八才に達する昭和四八年九月頃までの間本件水道の飲料水を飲用していたこと、被控訴人が昭和四〇年頃から同四八年三月三一日までの間本件水道によって供給を受けていた飲料水が六甲山系東端にある赤子谷川より取水したものであること、昭和五三年一〇月二九日に西宮市斑状歯認定審査会が被控訴人に対しその斑状歯につきM2以上であるとの診断をしたこと及び水道法四条一項において水質基準が法定され、同条二項に基づく厚生省令において上水道水に含まれるフッ素濃度が0.8PPM以下と規定されていることは、いずれも当事者間に争いがない。

二本件水道の沿革、斑状歯の概念とその発現機序、斑状歯の分類基準、被控訴人の斑状歯及び本件水道と被控訴人の斑状歯との関係についての当裁判所の認定判断は、次のとおり訂正、付加するほかは原判決の理由説示(原判決一三枚目裏初行冒頭から三八枚目表初行末尾まで)と同一であるから、これをここに引用する。

1  原判決二〇枚目表初行から二行目にかけての「マニュアルであある」を「マニュアルである」に、二八枚目表四行目の「認定審査会の判定も」を「認定審査会の判定は」に訂正し、三〇枚目表四行目の「飲用したこと、」の次に「(3)右飲料水中に含まれているフッ素以外には斑状歯の原因となるべきものが見当たらないこと、」を付加し、同四行目の「以上の二つの」を「以上の三つの」に訂正し、同一〇行目の「認めることができる。」の次に「また、右(3)の条件についてであるが、本件全証拠によるも、本件水道水中のフッ素以外に被控訴人の斑状歯の原因となるべきものが見当たらないので、右(3)の条件も充足されているものと認められる。」を付加する。

2  原判決三四枚目裏末行冒頭から三七枚目裏一〇行目末尾までを左記のとおり改める。

「三1 右専門調査会答申によれば、被控訴人が居住生育した生瀬地区においては、昭和三四年度から同四六年度までの期間中、0.8PPMを越える(時には1.0ないし2.0PPM)濃度のフッ素を含んだ水道水が比較的高頻度で給水されていた可能性が十分に考えられるというのであり、さらに、CFI値からの推算フッ素濃度(昭和三四年度から同四七年度までの期間)が2.7PPM、その他の測定資料による給水中のフッ素濃度の推測値(昭和三四年度から同四六年度までの期間)が1.6ないし2.1PPMというのであるから、そうだとすると、被控訴人の歯の石灰化期において、被控訴人が本件水道から給水を受けていた飲用水中にも、右のような高濃度のフッ素が含まれていたことも推認されないではない。

2  しかし、〈証拠〉によれば、控訴人は、昭和四〇年以前から生瀬浄水場において毎月一回は本件水道の原水と給水栓水につき水質検査をしてフッ素の濃度の測定を行い、その結果に応じて当初は硫酸バンドの投入によるフッ素低減方法を用いていたこと、水道年報によると、昭和四〇年度から同四三年度までの生瀬地区における原水及び配水池におけるフッ素濃度は被控訴人主張のとおりいずれも1.1PPM(最低)から1.9PPM(最高)であり、年報の記載上原水及び配水池での各フッ素濃度に差がなく、その当時控訴人の行っていたフッ素低減方法が十分な成果をあげていないと推察されること、ところが、年報の記載上、昭和四四年度の配水池のフッ素濃度は0.8PPMであり、同四五年度以降の配水池のフッ素濃度は原水のそれよりも低くいずれも厚生省基準を越えておらずフッ素低減対策の成果があらわれていること、水質検査の結果の年別集計表である前記乙第一六号証によると、昭和四〇年度から同四八年度までの間の赤子谷原水のフッ素濃度は年平均で0.9ないし2.0PPMであるのに対し、昭和四四年度か同四八年度までの間の生瀬地区の給水栓水におけるフッ素濃度は年平均で0.59ないし0.79PPM(その間の最高値でも0.8PPM)であり、西宮市水道局の資料によると昭和三七年から同四八年までの生瀬地区の給水栓水のフッ素濃度は原判決添付の別紙第四表のとおり0.72PPMプラス・マイナス0.23(最高値で0.95PPM、最低値で0.49PPM)であることが認められ、これらの事実と前記1の事実及び引用にかかる原審認定の事実とを照らし、かつ、本件各証拠を検討してみるのに、昭和四六年頃以前の本件水道のフッ素濃度を示す適確な信頼性の高い証拠は必ずしもあるとはいえず(高濃度であることを示す資料も所詮は推認ないし推測によるものが多い。)、結局、当時いかほどのフッ素濃度であったかを数値的に確定することは難しいといわなければならない。もっとも、前記諸事実を総合すれば、昭和四〇年頃から同四六年頃までの間の本件水道水中には常時ではなく、また、時期や日時によるフッ素濃度の変動はあるものの厚生省基準を相当越える濃度のフッ素が含まれていたことがあったものと認めるのが相当である。

四  水道法四条、水道法施行規則一〇条に基づいて制定された「水質基準に関する省令」による水質基準(以下「水質基準」又は「厚生省基準」という。)のフッ素の基準値は0.8PPMと定められているが、右水質基準が制定されるまでの水道協会による「飲料水の判定標準とその試験方法」(昭和二五年)ではフッ素濃度の標準値は1.5PPMとなっていたし、WHOの基準値は1.0PPM、米国では0.6ないし1.7PPMなどであり諸外国の基準値にも差異があって、我が国の現行水質基準である0.8PPMという基準値が定められた根拠は必ずしも明らかではない。う蝕防止の目的による水道水フッ化のための許容限度を示す至適フッ素濃度(ディーン分類のModerate以上のいわゆる好ましくない斑状歯を発生させない程度で、かつ、う蝕抑止に有効性のあるフッ素濃度、成立に争いのない甲第四号証)が、世界的には1.0PPM前後が多く、我が国では0.8ないし1.1PPMが想定されていて、前記水質基準の基準値はその最下限値をとって設定されたものといわれている(成立に争いのない乙第二号証)が、いずれにせよ0.8PPMというフッ素濃度それ自体はそれほど有害危険なものではないのであるから、その基準値を越えていたというだけでは、そのことが直ちに斑状歯の発生に結びつくわけではない。一般的には、飲料水中のフッ素濃度が1.0ないし2.0PPM以上のときに最も斑状歯の発生率が高いといわれているが、それより低い濃度でも斑状歯は発生することがあり、飲料水中のフッ素の量と斑状歯との関係は、その地方の気温、食生活を営む環境及び住民の個人的な差異によって必ずしも一定しないものである(前掲甲第四号証)。すなわち、水を飲む量が多いとフッ素含有量が少なくても斑状歯が発生することになり、米国では1.0PPMでもあまり著明に斑状歯は現われないが、インドでは0.4ないし0.5PPMでも著明に現われることが報告されている。このように、フッ素濃度と斑状歯の発生とは必ずしも比例関係になく、したがって、フッ素濃度が何PPMであるから何パーセントの斑状歯が発生するとか、逆に、何PPM以下なら斑状歯が発生しない、といった形で説明することはできないともいわれている。しかし、前記専門調査会答申の内容のほか、原審証人松村敏治、同飯塚喜一及び同高江洲義矩の各証言によっても、生瀬地区に給水された水道水のフッ素濃度は、単に水質基準の基準値を越えているというだけでなく、それを相当上回わるフッ素濃度であったものであることが推認されるし、同答申にも記述されているように生瀬地区のCFI値が0.6をはるかに上回る1.73に達していたこと、成立に争いのない甲第七号証及び原審証人松村敏治の証言によって認められるように、西宮市北部地域の山口、生瀬及び船坂の各地区において、同じ水道の水を出生時から一定期間継続的に飲用した住民の間に集団的に斑状歯が発生していること、原本の存在及び成立に争いのない甲第三五号証及び成立に争いのない乙第一三号証によって認められるように同じく武庫川水系の川水を水道水として飲用している隣接の宝塚市においても同様に斑状歯の発生がみられること、原審における鑑定人高江洲の鑑定及び証人高江洲の証言によって被控訴人の歯が典型的な斑状歯であると認められ、かつ、本件水道水中のフッ素以外にその原因となるべきものが見当たらないことなどの事実を併せてみれば、被控訴人の斑状歯は、その歯の石灰化期の間に飲用した本件水道水の中のフッ素によるものと認めるべきであり、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。」

3 原判決三七枚目裏一一行目の「八歳」から一二行目の「九月頃まで」を「昭和四六年頃まで」に、同裏末行の「過量のフッ素が含まれていて」を「厚生省基準の0.8PPMを相当上回る量のフッ素が含まれていたことがあったため」に訂正する。

三そこで、この問題についての控訴人の対応についてみるのに、〈証拠〉によれば、以下の各事実が認められ、この認定に反する原審における被控訴人法定代理人大坪久子の供述及び当審証人大坪久子の証言は、前掲他の証拠に照らしてにわかに採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1(人口急増と水不足について)

生瀬地区を含む西宮市の北部地域においては、昭和四〇年代(特に後半頃)、宅地開発に伴い人口が飛躍的に急増し、そのため、慢性的な水不足の状態が続き、この水不足をいかに解消すべきかということが、水道局の懸案事項であり、当時の水の需要は控訴人の給水能力の限界を越えるような状況であった(雨の少ない夏場などは水道局が保有していた一トンないし四トンの給水車を毎日のように出動させ、また、日本通運の給水車を借り上げて出動させたこともあった。)。生瀬地区の人口急増及び給水量の増加については、本判決添付の別表「給水人口及び配水量」に記載のとおりである。生瀬浄水場においては、認可水量が一日三〇〇立法メートルであったところ、昭和四四年以降の一日平均給水量は五〇〇立法メートルを越え、昭和四七年には一日平均給水量が一一一六立法メートルにまで達した。

2(フッ素を含まない水源からの取水について)

生瀬地区は、次に述べるところから明らかなとおり、フッ素を含まない水源からの取水が容易でない地域であった。

(一)  西宮市の地形等について

西宮市は、兵庫県の東南部、六甲山系の東端にあって、いわゆる阪神地域の中央部に位置しており、その市域は、東は武庫川・仁川を境に尼崎、宝塚の両市に、西は堀切川で芦屋市に、北部は神戸市にそれぞれ接している南北19.1キロメートル、東西13.8キロメートルのひょうたん状に展開する98.52平方キロメートルの市域であり、その市域のほぼ中央部を東西に最高部で八七四メートルの六甲山系が横断しているため平野部の南部地域と丘陵地帯を中心とする北部地域とに分けられている。北部地域は、昭和二六年四月一日に旧有馬郡塩瀬村(現・西宮市塩瀬町)及び同郡山口村(現・西宮市山口町)が西宮市と合併したことにより西宮市域となったものであり、現在、北部地域は、大きく分けて塩瀬町には名塩地区と生瀬地区が、山口町には山口地区と船坂地区の合計四地区がある。なお、現在の市域面積98.52平方キロメートルのうち北部地域は、48.43平方キロメートルであって市域の約半分(49.16パーセント)を占めているが、人口比では5.2パーセント(昭和六二年三月一日現在の人口総数四二万三七八〇人のうち塩瀬町一万三四九九人、山口町八三九六人)という比率である。

(二)  西宮市北部地域の水事情について

昭和二六年四月一日に西宮市に合併した当時の山口地区は、有馬川沿いに集落を形成していたが、この有馬川は有馬温泉の排水が流入しているため飲用には不適当であり、これに代わる井戸水も塩分やフッ素を多く含んでいるため飲用水としては不適当であることが知られていた。同じく船坂地区では渓流水や井戸水を利用していたがフッ素が多いことと水量不足が問題であった。名塩地区でも渓流水を使用していたが、やはり水量が不足していた。ところで、被控訴人が居住する生瀬地区においては、太多田川から引水をなし灌漑用水路を利用する部落有の共同水道(明治三八年創設)があり、これを日常生活に使用していたが、これは灌漑用水路であったため、いわゆるオープンカット(開渠)の状態で各戸に引き込まれており、各戸では水瓶等でこの水を留めておいて使用していた。このため、降雨時には水が濁り汲み置きができない状態であり、また、赤痢等の伝染病が発生する危険もあって日常生活に著しい支障が生じていたうえ、消火栓もなく火災発生時の対策に欠けるところがあった。また、当時、フッ素濃度が高いことは知られていたが、骨への影響がでる位の高濃度ではなく、何らの処理をすることなく生活用水として使用されていた。このような状況にあったため、昭和三〇年一二月頃西宮市は、地元住民から前記水道を寄附採納により無償譲渡を受けた後、直ちに埋設管を設置するとともに塩素滅菌装置を設けて伝染病予防対策、降雨時の対策及び消火栓設置対策を講じ、昭和三二年七月から本格的に給水を開始し、昭和三三年三月一日に滅菌室等のすべての工事を完了し(これにより伝染病罹患の恐れは消滅した。)、生活用水や火災のため汲み置きの心配もなくなり、降雨時の水の濁りも解消し、一応の目的は達成できた。

(三)  生瀬地区の特殊性について

生瀬地区を含む北部地域は、前記のとおり、市域の半分を占めるにもかかわらず人口比は、昭和三〇年当時は三パーセント程度、現在のところでも五パーセントにすぎず、もともとは旧村落が散見されるにすぎない状況であったが、控訴人の経営となってからは、井戸水等からの転換及び生活様式の変更もあったため上水道の需要が増加し、更に、前記1のとおり昭和四〇年代の宅地開発に伴う給水人口の増加が顕著となり、とりわけ生瀬地区においては著しいものがあり、同地区は恒常的に水不足の状態が継続した。この水不足の状況は北部の他の三地区にも存在したが、生瀬地区においては著しい人口増のため極端な水不足の状態が現出し、そのため、生瀬地区に対し南部から給水車を出動させて度々給水しなければならないという状況であった。

ところで、生瀬地区のすぐ近くには武庫川があるけれども、水源となるべき後背地が狭く、常に水流不足の状態であって特に渇水時には流水が枯渇しており、更に、各地にまたがる水利権者(尼崎市・六樋水利運営協議会、伊丹市・昆陽井組、宝塚市・川面堰水利組合、宝塚市・伊孑志井堰水利組合、西宮市・百間樋井組など)がいたところ、武庫川の表流水の利用につき水利権者の同意を得ることが事実上できず、また、生瀬ダムの築造も福知山線の移設等の問題があって実現が無理であったため、武庫川から取水することは実際問題として不可能であった。なお、隣接する宝塚市より一部給水を受けていたが(現在も生瀬の一部地域に対し給水を受けている。)、宝塚市も水量不足のため生瀬地区の全地区に対し給水を受けることは不可能であり、他に適当な水源が存在しなかった。このように水源を確保する方法がなかったので、生瀬地区においてはドン尻ダムの完成まではフッ素濃度の低い原水を、赤子谷川より取水した原水に稀釈するといういわゆる混合稀釈法はとり得なかった。

3(水質検査について)

(一)  水道法に基づく検査項目と検査回数について

水道法二〇条一項に基づく水道法施行規則(昭和三二年一二月一四日厚生省令四五号)一四条及び通達によれば、次のとおり水質検査を行うものとされている。

A  定期水質検査

a 毎日検査

給水栓水について、毎日一回以上色度・濁度(外観)及び残留塩素の検査を行う。なお、必要に応じてPH値・臭気・味等の検査を行う。

b 毎月検査

給水栓水について、毎月一回以上天候・気温・水温・アンモニア性窒素・亜硝酸性窒素・塩素イオン・過マンガン酸カリウム消費量・一般細菌・大腸菌群・PH値・臭気・味・色度・濁度及び残留塩素の検査を行う。なお、地理的、地質的、環境的状況に応じて必要と認める項目について検査を行う。

B  臨時水質検査

給水栓水について、必要に応じ随時行い、検査項目は給水開始前の水質検査に準ずる。

C  請求を受けたときの水質検査

水質検査の請求を受けた場合は、その請求の内容をよく検討して検査項目を決め、目的を達し得るまで随時検査を行う。

D  給水開始前の水質検査

検査項目は水道法に示された全検査項目すなわちアンモニア性窒素・亜硝酸性窒素・硝酸性窒素、塩素イオン・過マンガン酸カリウム消費量・一般細菌・大腸菌群・シアンイオン・水銀・有機リン・銅・鉄・マンガン・亜鉛・鉛・六価クロム・ヒ素・フッ素・硬度・蒸発残留物・フェノール類・陰イオン活性剤・PH値・臭気・味・色度・濁度及び残留塩素について少なくとも一回検査を行う。

E  水道事業経営認可の申請に要する水質検査

試験項目は給水開始前の水質検査における全項目及びその他必要と認める項目について試験を行う。

右のとおり給水開始前の水質検査項目は、フッ素の検査が含まれているが、毎日検査、毎月検査及び臨時検査の中にはフッ素の検査は含まれていない。

ところで、控訴人は、前記A、bの毎月検査のなお書に「地理的、地質的、環境的状況に応じて必要と認める項目について検査を行う」とされているので、フッ素と鉄と硬度を加えて毎月検査を行っていた。

(二)  フッ素に関する水質検査方法について

昭和二五年に日本水道協会が発表した「飲料水の判定標準とその試験方法」においては、フッ素の検査方法はヘマトキシリン法によるものとされ、その後昭和三〇年に改訂された同協会の「飲料水の判定標準とその試験方法」においては、ヘマトキシリン法からジルコニウム・アリザリン法に変更された。更に、昭和三三年七月一六日施行の「水質基準に関する省令」においてもフッ素の試験方法は、ジルコニウム・アリザリン法が採用された。次いで、昭和四一年に省令の改正が行われ、検査方法が、ジルコニウム・アリザリン法からスパンズジルコニウム法(スパンズ法)に変更されたが、これにより目視による測定方法から分光光度計による測定方法が採用されることとなった。ところで、ヘマトキシリン法、ジルコニウム・アリザリン法、スパンズ法のいずれの試験方法も一時間以上の静置が必要であるため、検査結果の判明までに一時間三〇分ないし二時間を要し、且つ、前二者は目視によって判定するため測定値も判定者により差を生ずる可能性があり精度に欠けるきらいがあった。更に、昭和五三年八月三一日に省令が改正され、フッ素の測定方法がスパンズ法からアリザリンコンプレクソン法に変更されたが、やはり検査のためには一時間三〇分ないし二時間を必要とした(なお、日本水道協会は昭和五三年一一月一日にイオン電極法もフッ素の測定方法として採用したが、同法は対象水中に電極を挿入することによって短時間でフッ素濃度を測定し得る検査方法である。)。

(三)  控訴人の水質検査体制について

控訴人の水質検査所は、当初より越水浄水場内に設置され、昭和三九年には鯨池浄水場関係の水質を検査するため、同浄水場内に検査室が新設された。西宮市の水質検査区域は、北部と南部に区分されており、北部地域の検査に必要な採水をするため、生瀬、名塩と船坂、山口に分けて毎月二回交互に巡回することとし、担当職員は、毎回午前九時に出発して、原水、配水池、給水栓のそれぞれの場所(計六か所)で採水し正午に帰庁していた。南部地域については、大規模な水源がなく小規模な自己水源が多く点在しているため、原水については一九か所、配水池については一三か所、給水栓からの採水は二二か所あり、各方面から採水することになるため、職員一名が午前九時から午後五時まで採水に専念している。このように原水の取水源が多方面にわたっているため水質検査所においては、次のように一週間の検査スケジュールを立てていた。

月曜日  北山、湯ノ口系統

火曜日  越水系統

水曜日  武庫川、鳴尾系統

木曜日  生瀬、名塩、山口、船坂系統

金曜日  中新田、仁川、阪神水道企業団系統

土曜日  その他の臨時検査

右の水質業務に従事する職員数は、昭和四〇年頃は七名であったが、現在は、水質検査を充実するため一一名で検査を行っている(採水専任者を含む。)。検査項目は、当初二五項目であったが、昭和五三年にカドミウムの検査項目が加えられ、現在では二六項目となっている。なお、PH値、残留塩素、濁度については現場で測定することができるが、フッ素を含むその他の項目については検査所へ持ち帰って検査することとなるところ、前記のとおりフッ素についてはヘマトキシリン法→ジルコニウム・アリザリン法→スパンズ法→アリザリンコンプレクソン法へと次々と改正されたが、いずれの方法においても検査結果が判明するまでに一時間三〇分から二時間を必要とした(細菌検査については検査開始から結果が出るまでに四日を必要とするものもある。)。

ところで、控訴人は、昭和四〇年以前から西宮市の北部地域において給水栓のフッ素濃度の測定を月一回の割合で行っていたが、同四七年一一月以降は毎週一回の割合で行っている。なお、控訴人が、フッ素濃度を瞬時に測定し得るイオン電極法を採用したのは昭和四七年以降であり、このときまでは継続的な水質検査を実施することは事実上難しかった。

4(フッ素濃度を低減する方法及び控訴人の行った方法)

控訴人は、従前、フッ素濃度を低減する方法としては、水処理に通常用いられる硫酸バンドを投入する方法を用いていたが、余り芳しい成果は認められなかった。ところで、昭和四六年の春頃、宝塚市で水道水中のフッ素が斑状歯の原因であるとの問題提起がされるに至ったが、西宮市においては、この頃、担当職員に対し、効果的な除フッ素を研究するように命じてその検討をさせた。その頃までにも、文献上は、「活性アルミナによるフッ素の除去法」(粒状の活性アルミナにフッ素を吸着させる方法)が紹介されているが、当時、日本においては、未だ効果的な除フッ素法は確立されておらず、右活性アルミナによるフッ素除去法も本格的に実用化されてはいなかった。右活性アルミナによるフッ素除去の方法は、全国の水道局が水道の維持管理をするための技術上の指針としている水道維持管理指針一九七〇年版(昭和四六年四月二〇日)に初めて紹介されてはいるが、その内容はフッ素除去の原理が記述されているにすぎず、実験データやフッ素除去装置等の紹介はされていない(昭和五二年五月水道協会発行の水道施設設計指針に、初めて活性アルミナ法と骨炭法によるフッ素除去の具体的な説明がなされている。)。

西宮市の水道事業管理者からフッ素除去法の検討を命ぜられた森高巌(当時配水所長をしていた。)は、活性アルミナ法に着目し、昭和四六年夏頃から活性アルミナを用いた除フッ素装置を生瀬浄水場の配水池の上に設置し、実際に使用し始めた。なお、この粒状活性アルミナを使用するフッ素処理装置は、フッ素濃度により異なるけれども三時間程度しか除去能力がないため活性アルミナの再生使用を余儀なくされ、その再生のために、スコップで内部の粒状活性アルミナを攪拌した後、一パーセントの硫酸バンドでこれを洗浄したうえ、下部から洗浄用の水を注入して洗浄しなければならないというものである。この方法には、活性アルミナが処理中に流出することや硫酸バンドの使用による薬品費がかさむことに加え、洗浄用水を多量に必要とすること及び人手を多量に必要とする等の短所があったが、当時としてはこの方法しかとり得なかった。しかし、この方法は活性アルミナの能力が低下するので作業員が三時間毎にスコップで攪拌しなければならず、このため作業員の手掌に水泡を生ずる等のことが起こるため長時間の連続作業をすることは難しかった。

このように、活性アルミナには再生用の硫酸バンドを多量に必要とするなどの短所があるため、森高は、昭和五二年の初め頃から、硫酸バンドによる連続処理の研究を始め、その結果、この方法が活性アルミナよりも水質が格段に安定することが判明したので、控訴人は、生瀬浄水場において一億四〇〇〇万円余をかけて設備を拡充し、昭和五三年から硫酸バンド法による連続処理に踏み切り、安定した水質の給水を行えるに至った。なお、控訴人は、後記5のとおり、昭和三九年以前から、既に北部水道事業計画を有していたが、その一環として計画されたドン尻ダムからの取水を昭和四八年四月から開始した。ドン尻ダムの原水中のフッ素濃度は0.13PPM程度であったため、その後はより一層フッ素濃度の低い上水道水を生瀬地区の住民に給水することができるようになった。

5(控訴人の行った水道事業について)

(一)  北部地域の施設拡充について

西宮市北部地域には、名塩、山口、船坂及び生瀬の四地区があり、生瀬地区を除くそれぞれの集落では、かつて渓流や井戸水等を生活用水として利用していた。生瀬地区においては、同地区内で自家用水道を共同管理し、給水していたが、前記1、2のとおり、他の三地区と同様恒常的な水不足もあり、十分な管理をすることができなかった。このような状態であったため西宮市に合併後、水の安定供給のため、市営による水道敷設が緊急を要する課題であった。

控訴人は、前記2のとおり、昭和三〇年に生瀬地区から飲用水路等の寄付採納を受けたが、これらの施設では満足な給水ができないため、直ちに敷設工事を施工すると共に施設を改良し、特に衛生面を重視して塩素滅菌工事を行うなど簡易水道として施設の改良と拡充を逐次進めて充実させ、昭和三二年から営業を開始した。また、昭和二九年一月には名塩、同三一年一二月には船坂と山口の各地区の簡易水道敷設工事に着工し、同工事完了後名塩では同三〇年四月、船坂では同三二年七月、山口では同三三年八月にそれぞれ簡易水道として営業を開始した(なお、この四施設は、控訴人において北部水道事業経営計画を提出した昭和四三年一二月にそれぞれ廃止された。)。

(二)  北部水道事業計画について

控訴人のなした西宮市北部水道事業の計画及び実行は次のとおりである。

(1)  控訴人は、北部地域を合併して北部各地域の簡易水道を経営することとなった後、同地域の中に全般的に慢性的な水不足でかつフッ素含有量に問題がある地域があったことから、この対策に苦慮していたが、これらの問題を根本的に解決するためこの地域の将来の水需要計画を検討する必要に迫られていた。ところで、この北部地域には、二級河川の武庫川が流れているが、これには水利権問題のほかに渇水時の水不足問題などもあった関係上、同河川からの取水が事実上不可能であったことは前記2のとおりである。また、南部地域からの水の供給についても、地形的、物理的、経済的観点からみて可能性はなく、隣接の宝塚市からの給水も、同市の水不足により実現できなかった。特に、生瀬地区周辺においては、フッ素濃度が低い稀釈水となるべき水源を見つけることができなかったため、昭和三〇年頃より控訴人は北部四地区の各地に水源を求め、その結果、西宮市の北端の山口町を流れる武庫川水系の支流である船坂川の原水のフッ素濃度が低いのに着目し、現丸山ダムの所在する場所を候補地とし、ダム建設による船坂川の流水の貯水と、この原水処理に必要な浄水場を建設して、将来、この浄水場から北部全地域に対する配水管を一本化して給水し、前記(一)の四施設を廃止するという構想を持った。

(2)  右の構想の実現に向けて控訴人は、昭和三九年には、八〇万円を支出して丸山ダム建設予定地周辺の地形の測量を行った。その計画内容は、有効湛水面積の算定、ダム堰堤設置場所の検討及び地形測量(四五万四八〇〇平方メートル)等であり、右計画を進捗させながら、控訴人はダム建設に要する買収予定地の地籍調査を行い、併せて関係水利組合との協議を重ねた。控訴人は、以上の調査及び協議を重ねた結果、右丸山ダム建設計画の見通しがついたので、これに基づく事業計画の認可を受けるべく具体化に向けて厚生省と事前協議を開始した。

(3)  控訴人は、昭和四二年頃厚生省との間で、事業計画の全般にわたり、水道事業経営の適格性、実現可能性及び経済性等の広い観点から検討し、具体的な事業計画及び工事設計等について協議を行った。

(4)  控訴人と厚生省との協議は昭和四三年頃調ったが、その際の計画内容の概要は次のとおりである。

すなわち、右計画内容は、船坂川を畑山と丸山の間で堰止め、その下流に丸山浄水場を設置することにより慢性的な水不足と水質問題を解消し、点在している三簡易水道及び山口水道を廃止し、計画給水人口を七万五〇〇〇人とし、一日最大給水量を二万七〇〇〇立方メートル(一日一人当たり三六〇リットル)とし、工期を昭和四四年度から同四八年度までの五か年とし、工事費を二一億六〇〇〇万円とするというものであった。

(5)  控訴人は、関係書類及び図面等を作成して、昭和四三年一二月一九日、厚生大臣宛にこれらを提出し、翌四四年三月三一日付で西宮市北部水道事業経営の認可を得た。そこで、控訴人は、事業計画を具体化させるため、用地買収等工事施工に必要な諸手続を進めることとし、船坂川下流の神戸、宝塚、伊丹、尼崎、西宮の九水利権者と接触し協議を行った。ところで、この事業に関連する土地の買収、移転補償等の交渉に時間を費やしたので、当初の完成予定日は相当遅延することとなったが、昭和五二年七月には一部湛水を開始し、同年八月に丸山ダムが完成した。当初は完成と同時に全湛水できる予定であったが水没地域内の寒天工場の移転補償問題がなかなか解決せず、昭和五四年一月に右工場の移転が完了したので、これと同時に全湛水を開始し同年四月満水することができた。この建設工事の総工費は、当初の予定では二一億六〇〇〇万円であったが、完工時は予定時の3.29倍の七一億一〇〇〇万円を必要とした。なお、丸山ダム及び同浄水場の完工により北部地域の全域へ送水するに至るまでの北部四地区の各水源毎の取水量等の経過は本判決添付の別表「西宮市北部地域水源一覧表」のとおりである。

(6)  丸山ダムの完成までの生瀬地区のフッ素低減対策として、控訴人は、昭和四七年三月にドン尻ダムを建設し、併せてドン尻浄水場を設置し、昭和四八年四月一日よりこの浄水場から生瀬浄水場へ送水し、フッ素濃度の低い水と混合稀釈して同地区へ給水してきた。丸山ダム及び同浄水場の存在する山口地区からみて生瀬地区は北部地域の東端に位置するため、同地区へ給水するには九七五〇メートルの配水管の敷設工事が必要であったところ、右工事のための用地買収の必要があったり、交通量の激しい国道一七六号線への敷設工事であったため、右工事は予定より相当遅れたが昭和五三年三月末に完了して送水可能となった。そして、控訴人は、昭和五五年一月から丸山浄水場からの給水に全面的に切り換え、赤子谷川及びドン尻ダムからの取水を完全に停止し、これによりフッ素除去問題はすべて解決するに至った。

四被控訴人は、公の営造物たる本件水道にはその設置又は管理に瑕疵があったから控訴人には国家賠償法二条一項の責任があるとか、控訴人には水道事業者として過失があったから民法七〇九条の責任があるとか、同法七一七条一項、七一五条一項の責任があるとかと択一的に主張するので、前記一ないし三で認定した事実に基づき検討する。

被控訴人の歯の石灰化期のうち昭和四〇年頃から同四六年頃までの間本件水道水中には厚生省令により定められたフッ素濃度の基準である0.8PPMを相当越える濃度のフッ素が含まれていたことはあったものの、その程度が著しく高いものであったとまでは証拠上確定できないこと、右厚生省基準の示す数値の科学的根拠はさほど明確なものとはいえず、それを少しでも越えたら斑状歯発生の危険があるとのことまでを示すものとは考えられないこと(もっとも、水道事業管理者としては、右基準を遵守するように努めなければならないことはいうまでもないが、右基準に違反した場合に直ちに不法行為法上の過失があるとか、水道施設の設置又は管理に瑕疵があるとまで即断することは相当ではない。)、フッ素はう蝕予防の効果ないし利点もあるところ、どの程度のフッ素濃度が相当であるか(至適フッ素濃度)については当該地方の気温、食生活を含む環境及び飲用者自身の固有の要因などにも左右されるので確定し難いこと、昭和四〇年代に生瀬地区を含む西宮市の北部地域において人口が急増し、これに伴い水の需要が増大したため控訴人の給水能力の限界を越えるような状況となったこと、水道は国民の日常生活に直結しその生命、身体、健康を保持するために欠くことのできないものであり、水道事業者は当該水道により給水を受ける者に対し常時水を供給しなければならない責務があること(水道法一条、二条、一五条参照)、斑状歯は特に重症の場合はともかく機能的には特段の支障はなく審美性障害(美容上の不快感を与える。)にすぎず生命を脅かすというものではないところ、前記基準を越えるフッ素を含む水の供給を停止することによって斑状歯が発生するおそれをなくす利益と、右フッ素を含む水の供給を継続することによって住民の生命等を保持することができる利益とを比較衡量すれば後者を優先すべきものであること、控訴人は不十分ながらも昭和四〇年以前から本件水道の水質検査をなし、当初は硫酸バンドの投入の方法により、その後活性アルミナ法を取り入れ、次いで硫酸バンド法による連続処理の技術を取り入れ、フッ素の除去低減に努力し、最初のうちはその成果は芳しくなかったものの現在では安定した水質の給水に成功していること、昭和四〇年代の前半頃までは効果のあるフッ素低減技術ないしフッ素除去の方法が未だ我が国では確立されていたとはいえないこと、生瀬を含む西宮市の北部地域はフッ素を含まない水源を確保することが地形的な事情等から容易でなかったところ、控訴人は、昭和三九年頃から水不足等に対応し得る抜本的な北部水道事業計画を立て同四三年頃実施に踏み切り、同四八年四月からはフッ素濃度の低いドン尻ダムの原水からの取水を開始してこれを混合することによりフッ素濃度の低い水を生瀬地区の住民に供給し、多額の財政的負担をして同五二年に丸山ダムを完成させ、同五五年一月以降は丸山浄水場からの給水に全面的に切り替えて遂にフッ素問題を全面的に解決するに至ったこと、このように控訴人としてはフッ素の低減及び給水につき相当な努力をなしてきていたこと等を総合勘案すれば、前記のとおり本件水道水中に厚生省基準を相当程度越えるフッ素が含まれていたとしても、未だ、本件水道の設置又は管理に瑕疵があったとはいえず、また、控訴人ないしその担当職員に被控訴人主張の過失があったとみることはできないというべきである。また、以上の認定判断によれば、控訴人に被控訴人主張の民法七一七条一項及び同法七一五条一項の各責任がないことも明らかであるというべきである。

ところで、被控訴人は、水道年報によれば控訴人がフッ素除去に取り組んでいなかったこと等の事実が判明する旨の主張をするので検討するのに、前掲甲第四一ないし第四八号証、第五四ないし第六四号証によれば、昭和四〇年以降の年報にはフッ素濃度検査の記述があるのに、昭和三三年から同三九年までは水道年報にフッ素濃度の検査の記述がないこと、昭和四〇年から同四三年までの生瀬地区における原水及び配水池のフッ素濃度の検査結果の記載は被控訴人主張どおりであって原水及び配水池のフッ素濃度が同一でありいずれも厚生省基準を上回っていることを示す記載が年報にあることが認められるが、しかし、前掲乙第一六号証、第一〇一、第一〇二号証及び証人佐茂、同森高の各証言によれば、控訴人は、昭和四〇年以前においても月に一回はフッ素濃度の測定をしていたこと、昭和四三年以前においても硫酸バンドを用いてのフッ素低減・除去の努力をしていたが、それは必ずしも十分なものではなく思うような成果は上がっていなかったこと(当時の技術水準からすれば十分な成果を上げられなかったとしても、やむを得なかったものと考えられる。)、フッ素濃度の測定上の誤差もありうるので原水と配水池のフッ素濃度の検査結果の記載が同一であるからといって控訴人がフッ素低減の処置を全くしていなかったとはいえないことが認められるものであって、控訴人は、昭和四三年以前においても不十分ながらフッ素除去対策に取り組んでいたといえるので、被控訴人の指摘する水道年報の記載をもって前記認定判断を左右するものではないというべきである。したがって、控訴人に損害賠償責任がある旨の被控訴人の主張は、いずれも理由がないといわなければならない。

五以上によれば、被控訴人の控訴人に対する本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないから、右請求及び附帯控訴は、いずれもこれを棄却すべきものである。

よって、これと異なる趣旨の原判決は取り消しを免れず、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官今富滋 裁判官妹尾圭策 裁判官中田昭孝)

別紙

西宮市南部・北部地域別工事費一覧表

区分

南部地域

北部地域

年度

南部

地域

給水

人口

南部地域

工事費

一人当

工事費

北部地域

給水人口

生瀬地区

工事費

名塩地区

工事費

山口地区

工事費

船坂

地区

工事費

北部水道

事業工事費

北部地域

工事費計

一人当工事費

昭和30

286,145円

-円

286,145円

31

145,836

378,945

2,513,511

2,589,058

-

5,627,350

32

1,242,433

596,935

6,060,400

-

-

7,899,768

33

211,165

30,156,691

1,028,012

6,720

21,000

47,000

-

1,102,732

34

223,990

50,048,715

725,899

-

-

-

-

725,899

35

239,620

119,530,904

498

(1,083)

5,009

184,000

3,420,818

1,381,000

105,500

-

5,091,318

1,016

36

258,943

105,232,141

406

(1,160)

5,629

602,100

651,046

-

-

-

1,253,146

222

37

275,272

189,494,514

688

(1,165)

5,800

7,349,240

546,000

-

-

-

7,895,240

1,361

38

295,741

176,593,140

597

(1,196)

5,813

-

2,670,268

275,000

-

-

2,945,268

506

39

309,057

214,455,616

693

(1,500)

6,482

-

4,945,955

-

-

800,000

5,745,955

886

40

318,511

410,574,883

1,289

(1,696)

6,881

160,000

59,639,710

8,543,879

-

3,279,500

71,623,089

10,408

41

334,800

437,604,384

1,307

(1,730)

6,806

195,575

3,310,265

17,000

-

4,380,000

7,902,840

1,161

42

342,327

681,959,444

1,992

(2,620)

7,836

6,900,920

8,953,330

-

-

-

15,854,250

2,023

43

352,263

288,645,241

819

(2,905)

9,221

27,455,494

-

-

-

2,000,000

29,455,494

3,194

44

357,817

451,708,378

1,262

(3,202)

9,583

13,691,075

-

57,372

-

3,736,870

17,485,317

1,824

45

363,341

698,444,055

1,922

(3,786)

10,246

26,245,897

1,758,977

-

-

623,000

28,627,874

2,794

46

370,167

973,853,573

2,630

10,957

6,632,284

-

-

-

1,452,329,066

1,458,961,350

133,153

47

375,839

1,352,869,535

3,599

11,437

58,749,572

55,313,382

1,170,270

230,000

1,582,421,637

1,697,884,861

148,455

48

381,665

1,379,715,915

3,614

12,169

898,600

-

3,816,276

-

493,422,412

498,137,288

40,934

49

385,322

2,033,005,063

5,276

12,786

7,821,179

-

3,238,997

-

704,310,000

715,370,176

55,949

50

386,818

3,152,814,132

8,150

13,692

974,511

-

50,377,951

-

1,283,082,102

1,334,434,564

97,460

51

387,007

2,794,443,251

7,220

14,309

1,781,458

93,171,280

225,052,236

-

773,110,557

1,093,115,531

76,393

52

390,011

3,488,315,437

8,944

14,852

186,941,623

18,325,008

42,894,053

-

628,316,888

876,477,572

59,014

累計

10,029,465,012

50,906

349,725,708

253,974,784

345,418,945

2,971,558

6,931,812,032

7,883,903,027

636,753

※ 北部地域給水人口の内(  )の数字は生瀬地区の人口

別紙

別紙

給水人口及び配水量

地区

名塩地区

生瀬地区

北部地区

(合計)

(名塩・生瀬・山口・船坂)

項目

給水人口 (人)

増加率 (%)

配水量 (m3)

増加率 (%)

給水人口 (人)

増加率 (%)

配水量 (m3)

増加率 (%)

給水人口 (人)

配水量 (m3)

年度

昭和35年

1,510

-

141

-

1,083

-

156

-

5,009

565

昭和40年

2,132

41.19

276

95.74

1,696

56.60

249

59.62

6,881

1,112

昭和45年

2,917

36.82

572

107.25

3,786

123.23

781

213.65

10,246

2,299

昭和46年

3,193

9.46

978

70.98

4,128

9.03

1,046

33.93

10,957

3,096

昭和49年

3,874

21.32

1,057

8.08

5,127

24.20

1,575

50.57

12,759

4,153

昭和50年

昭和50年度に、山口地区への丸山浄水場からの一部給水を開始したため

地区別統計をとっていない。

13,692

4,381

昭和55年

16,513

6,612

昭和60年

20,798

8,257

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